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「現実を見ろ! 褐色ロリだっていつかは褐色ババアになるんだ! 俺達はそれを学んだはずだろう! あの日、あの、フィリピンパブで!」
ぼくの父さんが、寒川(さむかわ)の叔父さんに向かってそう吠えたのは、もう随分前のことだ。まだ日本に中国軍が進駐していなかったし、東京オリンピックも開催されていなかった。
平和な時代だった。平和すぎて、ぼく達はまだ、平和という言葉の意味をよく知らずにいた。ぼくは子供で、尻の毛も生えそろわないカワウソで、心地よい微睡みの中を半ば漂い続けているような、穏やかな毎日を送ることに、ただぼんやり漫然、うつつを抜かしていた。
寒川の叔父さんはちょっとおかしな人だった。ぼくの父さんもなかなかのものだけど、まあ格が違った。大学で社会学の教鞭を執っていて、それなりに名の知れた人であったらしいけれど、ぼくにとっては単にドスケベ変態ポルノおじさんだった。
AV。エロマンガ。エロアニメ。エロゲー。抱き枕にエロフィギュア。
おじさんのコレクションの見事さは、目指すべきプロフェッサーの肩書きを誤っていることを如実に示していて、しかもそれは年々悪化する一方だった。
ぼくは幼い頃から、父さんよりも叔父さんに懐いていて(叔父さんはゲーマーで、子供相手に子供の目線で話ができる人だった)、暇さえあれば叔父さんの家に遊びに行っていたのだけど、叔父さんは子供の情操教育に悪影響を与える品々もまるで隠すことなく、あけっぴろげでいたから、ぼくにとって叔父さんちに行くのは、イコール、オカズ探しに行くようなものだった。ぼくはいつも帰宅時には、無造作に転がっているそれらのお下劣品からこっそり何かを拝借し、吸収しやすい子供の脳味噌に、肉欲のなんたるかを知識として蓄えていった。小便排泄器官としてのみ使用してきたちんちんが第二の機能を秘めていることを知り、女体に興味津々の年頃であった身には、叔父さんハウスはお宝の山だったわけだ。その有難味を思えば、対戦ゲームで叔父さんのへっぽこっぷりに付き合い、低レベルな接待プレーで機嫌を伺うのも全く苦ではなかった。嫌な小学生である。
叔父さんは未婚だったけど、身の回りの世話をしているハナさんという美人の家政婦さんが一人いて、彼女は日々それら卑猥なグッズの整理も行っていた。時には、汚汁の滴るオナホールを袋に投げ入れたりなんかもしていた。それは年頃だったぼくには衝撃的な行動で、なにしろハナさんは、まるでテレビドラマの女優のように瀟洒な佇まいの人で、ぼくの初恋の人だった。
きっと二人は日々ヤりまくってるんだろうなと、ぼくは痛む胸を抱えながら、よく思った。
ところが、裏庭の楡の木の下で、それとなくハナさんに聞いて返ってきたのは「あの人、童貞なのよ」という言葉だった。
「確かにハナはいい女だ。だが、俺は手を出さん」
驚きをぶつけたぼくに、叔父さんはけれど全く動じることなく、その事実を肯定した。
「何故なら童貞を捨てる相手については心に決めているからな。目も眩むような褐色美少女ロリ以外と、ヤる気はないんだ。妥協はしない。男ってのはそういうもんだ」
叔父さんにエロMMD動画を作るという悪癖があるのを知ったのは、偶然だったと思う。
その時叔父さんが作っていたのは、ゼノブレイド2という、当時ぼくがひたすらpixivでエロ画像を収集していたゲームの、アングラ二次創作エロMMD動画だった。
ぼくは大好きなホムラが女性器を広げてアヘっている様に異常に興奮し、叔父さんに「なんなのこれは!」と詰め寄った。
叔父さんはぼくが狂人の相貌で金切り声を上げる姿にさすがに後ろめたくなったのか、「ああ、これは……まあ、あれだ。たまには褐色ロリ以外で抜きたくなることもあってだな」と声を震わせた。
言い訳の論点がズレていた。
それからしばらく年月が流れて、例の事件の後、叔父さんは射殺された。
原因はエロMMDだった。厳格な統制下、公序良俗に反する動画を頒布することは、反共産的であるとされていたのに、叔父さんは敢えてそれをやった。何度もやった。繰り返しやった。
中華人民共和国刑法第113条。
かつて代々木公園と呼ばれ、今は紅巾広場と称される場所で叔父さんの遺体は、ハナさんがつまんで捨てるオナホールのように処分された。
叔父さんは死に際して、「俺を殺すなら、褐色ロリの手で頼む」と中国軍に願い出、不思議とその望みを叶えられた。南方戦線からわざわざ呼ばれた少女兵士によって撃ち殺された。
夏の潜熱が圧縮された薄暗い部屋の中で、肩を落とした父さんがその事実を教えてくれた。
あれから、色んなことがあった。
父さんも、ぼくの初めての人になってくれたハナさんも死んだ。
そしてぼくは今、ドローンの飛び交う風音を窓の外に感じながら、エロMMD動画を作っている。
ぼくの父さんが、寒川(さむかわ)の叔父さんに向かってそう吠えたのは、もう随分前のことだ。まだ日本に中国軍が進駐していなかったし、東京オリンピックも開催されていなかった。
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寒川の叔父さんはちょっとおかしな人だった。ぼくの父さんもなかなかのものだけど、まあ格が違った。大学で社会学の教鞭を執っていて、それなりに名の知れた人であったらしいけれど、ぼくにとっては単にドスケベ変態ポルノおじさんだった。
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おじさんのコレクションの見事さは、目指すべきプロフェッサーの肩書きを誤っていることを如実に示していて、しかもそれは年々悪化する一方だった。
ぼくは幼い頃から、父さんよりも叔父さんに懐いていて(叔父さんはゲーマーで、子供相手に子供の目線で話ができる人だった)、暇さえあれば叔父さんの家に遊びに行っていたのだけど、叔父さんは子供の情操教育に悪影響を与える品々もまるで隠すことなく、あけっぴろげでいたから、ぼくにとって叔父さんちに行くのは、イコール、オカズ探しに行くようなものだった。ぼくはいつも帰宅時には、無造作に転がっているそれらのお下劣品からこっそり何かを拝借し、吸収しやすい子供の脳味噌に、肉欲のなんたるかを知識として蓄えていった。小便排泄器官としてのみ使用してきたちんちんが第二の機能を秘めていることを知り、女体に興味津々の年頃であった身には、叔父さんハウスはお宝の山だったわけだ。その有難味を思えば、対戦ゲームで叔父さんのへっぽこっぷりに付き合い、低レベルな接待プレーで機嫌を伺うのも全く苦ではなかった。嫌な小学生である。
叔父さんは未婚だったけど、身の回りの世話をしているハナさんという美人の家政婦さんが一人いて、彼女は日々それら卑猥なグッズの整理も行っていた。時には、汚汁の滴るオナホールを袋に投げ入れたりなんかもしていた。それは年頃だったぼくには衝撃的な行動で、なにしろハナさんは、まるでテレビドラマの女優のように瀟洒な佇まいの人で、ぼくの初恋の人だった。
きっと二人は日々ヤりまくってるんだろうなと、ぼくは痛む胸を抱えながら、よく思った。
ところが、裏庭の楡の木の下で、それとなくハナさんに聞いて返ってきたのは「あの人、童貞なのよ」という言葉だった。
「確かにハナはいい女だ。だが、俺は手を出さん」
驚きをぶつけたぼくに、叔父さんはけれど全く動じることなく、その事実を肯定した。
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その時叔父さんが作っていたのは、ゼノブレイド2という、当時ぼくがひたすらpixivでエロ画像を収集していたゲームの、アングラ二次創作エロMMD動画だった。
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叔父さんはぼくが狂人の相貌で金切り声を上げる姿にさすがに後ろめたくなったのか、「ああ、これは……まあ、あれだ。たまには褐色ロリ以外で抜きたくなることもあってだな」と声を震わせた。
言い訳の論点がズレていた。
それからしばらく年月が流れて、例の事件の後、叔父さんは射殺された。
原因はエロMMDだった。厳格な統制下、公序良俗に反する動画を頒布することは、反共産的であるとされていたのに、叔父さんは敢えてそれをやった。何度もやった。繰り返しやった。
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かつて代々木公園と呼ばれ、今は紅巾広場と称される場所で叔父さんの遺体は、ハナさんがつまんで捨てるオナホールのように処分された。
叔父さんは死に際して、「俺を殺すなら、褐色ロリの手で頼む」と中国軍に願い出、不思議とその望みを叶えられた。南方戦線からわざわざ呼ばれた少女兵士によって撃ち殺された。
夏の潜熱が圧縮された薄暗い部屋の中で、肩を落とした父さんがその事実を教えてくれた。
あれから、色んなことがあった。
父さんも、ぼくの初めての人になってくれたハナさんも死んだ。
そしてぼくは今、ドローンの飛び交う風音を窓の外に感じながら、エロMMD動画を作っている。